実際はどうだかわからない、たまたま偶然かもしれないが、これを「厄落とし」と考えずして何を「厄落としというのか?!」くらいに感じたことがあります。
昔、病院に行って帰りのバスを待っているときのこと。
蚊のような羽虫が顔の前に飛んできたので、シッシッと手で払っていたら、小指にしていた指輪がスポーンと抜けて後ろの雑木林の中に落ちて行った。
それはもう、見事な弧を描いて(笑)
ガードレールで仕切ってあり、崖のように落ち込んだ地形なので探すのはほぼ不可能。
ああ-----っ!!→嗚呼→あー・・・・仕方ないか
そう高価なものでもなく、家族の形見とか執着するようなものでもないものだったので、2秒であきらめる。
自分の厄を持って消えて行ってくれたのかもしれぬ。違うかもしれないが、今更どうしようもないので「厄落としをした」と思うことにした。
いや、だってファッションリングとはいえ、指にジャストフィットするものを選んで買ったもので、ユルユルだったということはない。
なのにあの瞬間、スポーンと抜けた。
「厄を持って行ってくれた」以外に腑に落ちる理由がなかった。
他人には「厄を持って行ってくれた」と励ますことは多かったけれど、自分で自分にそう言って、なおかつ納得できたのはこの事例が初めてかも。
いつの頃からかトラブルやアクシデントに対して、落ち込み過ぎたり引きずることが少なくなった。
気持ちの切り替えも早くなった。
2秒で切替え完了な建機カメラマン
Satosee!