人と意見の食い違いなどから言い争いになってしまったり、他人の叱咤・叱責の様子を見ていると、
ああ、この人もかつてこのような叱咤・叱責を受けて悔しい思いをしたことがあるのだろうな。
無意識にしろ自分にされたことを、する側になった時に出てしまうものなのだな、と理解できてしまうことがある。
心理学で虐待は連鎖すると言うけれど、親-子と云う関係以外にも、先輩-後輩、上司-部下などの力関係の強-弱の間柄でも、同じように連鎖するものなのではないかな、とか。
もちろん性格も影響するので、一概には言えない部分はあるけれど、
「ちょっと意見の食い違いがあっただけなのに、いきなりブラリス入れられちゃって。ありえなくない?!」
なんて言っている人は、高確率でちょっと意見の食い違いがあっただけなのに、いきなりブラリスに入れたりしますし、
いわゆる体育会系の部活などでは雑用をさせられる側から、雑用をさせる側になるわけですし。
いつもどこかに少しだけ醒めた部分があるので、諍いの最中なのにそういう分析をしてしまうことがあって、あ、イカン思考がダダ漏れしたら怒りに火を注ぐな(・.・;)
なんてコト実は結構あります。
自分で自分に、今の状況わかっている?!○○については自分が悪いんでしょう?!反省している?!!って突っ込んでいますからね。
こういう分析グセは改めなきゃいけないとは思っているのですがね(^_^.)
される側から
する側になって
更に、「こう云うことをされて嫌だったからしないようにしよう、別のやり方をしよう」それができるようになって漸く一人前って言えるのかもしれない。そんな風に思います。
Satosee!