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建設機械が好きだ! 撮れます!乗れます!車両系建設機械(整地等)運転資格を持っている建機専門カメラマン池田智

【あの日】あれから10年【3.11】

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これは2018年、重機fan3号の取材で三陸道復旧工事の現場に行ったときの一枚。

 

10年前の3月11日

会社員で、まだ一眼レフも買っていなかったし、まさかカメラマンになるとは夢にも思わなかった頃。

横浜に居た私の当日の思い出を長々語っても、なんだかなぁ。なので、

あの日、あの当時の良かったこと、役に立ったこと、やっておけばよかったことなどをいくつか。

 

 

・自転車通勤をしていてよかった

会社から家までの道がわかっていたこと

ただし、この日に限って自転車ではなく電車通勤でした(^-^;

帰りに歯医者の予約が入っていたこと、自転車を止めるところがなかったことから電車で移動していた。

自転車なら帰宅も幾分スムーズだったとは思う。

 

しかし、自転車で来なかったことが結果としてよかったのかな、とも。

実は、たまたま偶然、同じ方向の年配のご婦人と歩いて帰ることになりまして。

会社を出る前に、みなとみらい線、東横線、JR、横浜市営地下鉄、横浜市営バスが運転を見合わせていることは確認をしていた。

このご婦人はお知り合いと博物館の展示を見に来ていて、電車もバスも止まったらどうやって帰るか全くわからない、とお困りの様子。しかも、お宅は私の家の2-3個先のバス停だという。

大げさに言えば帰宅困難者になりそうなご婦人の帰宅のお手伝いが出来た。

 

オマケの良かったこと

会社でイチゴのお菓子を頂いていた

途中で議員事務所で炊き出しならぬ、お茶出しをしていて、ご婦人に一休みしてもらった。水分と甘いもので少し元気が出ると考えて、カバンの中にあったお菓子を差し上げた。

この事務所ではお茶出しの他に、道が分からない人のために地図のコピーをしてあげていた。

この議員さんの政党もお名前も失念してしまったのが残念。

 

あの日の後悔

地図をプリントアウトすればよかった

同僚が当時大船に住んでおりまして、道がわからず苦労した。と後から聞いて後悔。

PCも使えたし、ネットも繋がっていた、もちろんプリンターも。

当時はまだ、スマホも普及しきっていなかったから、地図アプリで確認もできない。

ビルの1Fに避難して、帰宅のために荷物を取りに戻った時は、とにかく

危ないので、各自自力で帰るように

早く帰れ、これ以上会社にいるな

みたいな感じで大慌てで出てきた。

 

自分は道がわかるからよいとして、同僚の帰宅ルートのことまで頭が回らなかったのは失敗だった。

 

会社で横の連携が取れていなかった

同僚も私も派遣社員だったこと、社員が300人くらいる会社だったから、社内の大半と横のつながりがなかった。

つまり、

危ないので、各自自力で帰るように

早く帰れ、これ以上会社にいるな

と帰宅を促すのも間違っていない。しかし、電車もバスも実質動いていないことはわかっているのだから、各自自力で帰るようにではなく、大船方面とか、戸塚方面などの同じ方面の社員同士での集団帰宅をマッチングしたらよかったのではないかと。

タクシーに乗るにしても、4人が個別にタクシーに乗るよりも、同じ方面なら一緒に乗った方が効率がいいと思うのだが。

 

大きい揺れで、会社の総務部や管理職もだいぶテンパっていたから、そこまでの対応を要求するのも無茶ぶりかもしれないけれど。

 

恐らく、会社として災害時の緊急マニュアルや決め事はあったと思う。

ただし、組織としての縦方向のマニュアルね。

こういう時には横連携のマニュアルなり風土作りが肝要だと思った。

 

夫にミニライトを持たせておいてよかった

たしか(横浜駅東口地下街)ポルタの丸善(今はもうない)の文具コーナーで、手帳の文字が見えるくらいの小さい読書ライトを買った。

メタリックの青と赤で、青を夫にあげたのだ。

ビルが停電になったときに、小さいけれど手元が照らせて助かったと。

おお、役に立ってよかった。

ビルが停電になって、仕事も出来ず武蔵小杉から歩いて帰宅。

いつもは新宿だが、この日に限って仕事で武蔵小杉に居たらしい。

 

 

余談だが、派遣会社の営業に場所の条件で、横浜市内が希望、

災害時に歩いて帰ることのできるエリアがいい。と話して鼻で笑われたことがある。

実際に歩いて帰宅を経験して、心の中で、だーから言ったじゃん×2 だったよ(笑)

 

10年前は会社員だった建機カメラマン

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