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建設機械が好きだ! 撮れます!乗れます!車両系建設機械(整地等)運転資格を持っている建機専門カメラマン池田智

【断捨離】高価だったモノを捨てられない【物の価値】

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年配の方に多い傾向に感じているのだが、

「これ使ってくれない?」

「これ貰ってくれない?」

「これ高かったのよ」

「これはとても良い品なのよ」


いつも使っているものならいざ知らず、使ったことのない&欲しくはないものを「高価なモノ」と渡されても。である。

 

昔、近所のお宅が建て直しをするときのこと、「これ貰ってくれない?」と欲しくもない鉢植えを押し付けられたことがある。

自分が捨てることに抵抗があるのだろうなぁ、と勝手に推察して受け取って置いた。

受け取ったら「ああ、よかった」

自分が処分する手間や、植物なので生き物を捨てることを回避できたことに対する安堵の言葉と、私は解釈した。


やはり大昔、当時の同僚にファンデーションを押し付けられたことがある。

有名な化粧品メーカーのもので「これ高かったのよ」

更に「私はイマイチ合わなかったので使わないから」

いや、使わないなら捨てようよ。

今の時代ならメルカリで売ることも出来るけれど、その頃はヤフオクくらいしかなかった。

 

高いお金を出して購入した

自分にはイマイチ合わなかった

少し使ったし、ヤフオクでは売れないし、めんどくさい

池田なら使うかも

うん!使ってもらおう!

ナイスあいでーあ( `ー´)ノ

となったのかなぁ(勝手な推察)

 

そのファンデーションについては、半年ほどは家に置いておいたが、どうにも必要性を感じない&使う気になれずに、そっと処分させてもらった。


私が引き取ったことで、その方が”高価っだったものを捨てる罪悪感”を回避できた=私の手元でそのモノの役割は終わっていると考えた。

 

メルカリで、買って数回利用した化粧品を出品しているのを多く見かける。

モノにもよるけれど新品ではない、使用している、などを明記した上で購入者が納得して買っているのであればアリだと思う。

欲しくない人に押し付けるよりは、よほどいい。

 

なぜこのようなことになるのか?

恐らく、そのモノ自体の価値に縛られているからではないかと考える。

買った当時は欲しくて、高価でも手に入れた。所有して、使って嬉しい。

時は流れて不要になった、所有する気持ちがなくなった。

 

不要なら捨てればいい

良いモノ・高価なモノだから捨てることに抵抗がある

モノによっては処分方法が分からない、処分にコストがかかる

 

不要だけれど良いモノなら売る

良いモノ・高価なモノだったのに、業者に安く査定されるのが嫌だ


リサイクルショップに引き取ってもらう

良いモノ・高価なモノだったのに、タダ同然で引き渡すのが嫌だ


オークションサイトに出品する

出品の手間、購入者とのやり取り、発送が面倒くさい

そもそもやり方が分からない

 

自分には不要になったが、良いモノ・高価なモノなので、価値の分かる人に使って欲しい。

ここで前提条件として”相手も「良いモノ・高価なモノ」と価値観を共有してくれる”と考えているのではないかと。

価値観の共有ができる相手に引き取ってもらえるならOK

昔は断わりにくくて、引き取ってしまったけれど今なら確実に断るな。

 

一番不幸なのは、価値観が共有できないことだ。

BS朝日の断捨離の番組でも、価値観の呪縛から抜けられないケースがあった。

「良いモノ・高価なモノ」が大量にあるのだ。

家族が邪魔だと感じても、お母さんが捨てることに抵抗する。

今は使わないけれど「良いモノ・高価なモノ」だから。いつか使うかもしれないし。

究極は壊れている「良いモノ・高価なモノ」

家族は壊れているから捨てよう

お母さんは「良いモノ・高価なモノ」だから、いつかそのうち直して使いたいから捨てちゃダメ!

本当に使う意思があるなら、直す、修理の見積もりを取る、などをするのであろうが、

”今”は直さない。でも、いつかそのうちきっと。

家族にしてみれば”いつかそのうち”はきっと永遠に来ない。

”今”は直さない。なら不要=捨てよう。になる。

認識のズレが揉める原因なワケで。

 

本だとわかりやすい

たとえば

2010年のITの最新技術書、定価30,000円+TAX

「良いモノ・高価なモノ」だから、とこれから勉強する人に渡して活用してもらえるかという話だ。

パソコンもそうだよね(^-^;

 


私にもあります。

買ったときに

高価だった

必要だった

欲しかった

「良いモノ・高価なモノ」を断捨離することが。


メルカリやリサイクルショップなど、次の人に渡すことが出来るモノは極力、リレーしてつなぐように心掛ける。

手間や現在の市場価値を考えて、廃棄した方がよいものは思い切って処分。


このようなモノたちを手放して送り出すときに、どう気持ちを切り替えているか。

私はズバリ

私の所での役割は終わった

と考えるようになった。


無理に「私の所での役割は終わった」と考えを変えるというより、悟るに近い。

今は使っていない「良いモノ・高価なモノ」を見たときに

コレ気に入って使っていたんだよなぁ

もう使う機会も無くなったけれど

清水の舞台を飛び降りるくらいの気持ちで買ったんだよね

でも、壊れて直せない

いまさら直してまで使わない

あー、私の所での役割は終わったのだわ。

今までどうもありがとう。

これで手放せるようになった。


自分の中で、モノやそのときの気持ちなどに”執着していた気持ち”のお焚き上げが出来るようになった。ということみたいだ。


自分の中で腑に落ちていない、納得していないなら、手放すことはできない。

勝手に処分されたら、怒りがわくだけだ。


中には自分が手放すと、散逸・消滅してしまうようなモノがある。
こういうモノはむやみに処分しない方がいい。

この辺の話しはまた別の機会にするとして。

 

 

捨てることが出来るようになった建機カメラマン

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