教わる側も、自分の目的をしっかり伝える必要があるし、
教える側も、生徒のニーズを聞き出す必要がある。
例えば、絵手紙を習っている人がいて、普段は花とか果物や野菜を描いている生徒さんが、年末近くなってから、3回の講習で東山魁夷みたいなタッチで、イノシシを描きたいと言ってきたとします。
1回指導してみて、これは来年1年かけてじっくり取り組みましょう。
2-3回で出来る題材ではないです。と先生から言われたとしたらどうか?
何を目的としているか
その生徒さんが何故、東山魁夷みたいなタッチで、イノシシを描きたいのか?
これを把握していないと指導の手法や計画が違ってきます。
・東山魁夷が好きだから似たタッチで書けるようになりたいのか?
・イノシシが好きで絵を描けるようになりたいのか?
・来年が亥年だからイメージだけで言っているのか?
・東山魁夷が好きだから似たタッチで書けるようになりたいのか?
それなら絵手紙ではなくて、もしくは絵手紙とは別に日本が教室に通った方がいい気がする。
・イノシシが好きで絵を描けるようになりたいのか?
確かに年が明けてから1年間、じっくり時間をかけて、イノシシという題材に取り組んでみるのはアリ。
・来年が亥年だからイメージだけで言っているのか?
もし、年賀状にイノシシのイラストを入れたい。が目的なら、年明け1年かけてイノシシが描けるようになったところで、目的は達成されない。
真の目的が「年賀状にイラストを入れたい」とか、「いつもの絵手紙のタッチではなく」が目的なら、年が明けてからじっくり取り組むのでは間に合わない。
東山魁夷のように書くのは無理だけれど、色鉛筆やパステルでそれらしい色合いや雰囲気にするとか、クレヨンで油絵風にしてみるとか考え方を少し変えて年賀状に間に合わせることはできると思うのです。
教わる側も、自分の目的をしっかり伝える必要があるし、
教える側も、生徒のニーズを聞き出す必要があると思います。
中には、自分の目的やイメージが明確になっていないまま、目的を伝えてくる人もいます。
奥底で求めているものと真逆のことを言うケースもあります。
自分がどちらの側に立つにしても、伝えよう、聞こうとする意識は忘れないようにしたいものです。というお話でした。
無理そうなら作戦変更をする建機カメラマン
Satosee!