糸井重里から働く人へ ちゃんとメシ食って、風呂入って、寝てる人にはかなわない
この記事を読んだときにね、
ほぼ日刊イトイ新聞の「今日のダーリン」を
思い出したのです。
もう随分前のことで、でも日付を控えるのを
失念してしまったから、いつのものかわから
ないのだけれど・・・・・
AERAのこの記事の考え方のベースの一部がこれ
だと思うのです。
糸井氏も断定はしないように、勝手な仮説で暴
走しないようにゆっくりと持論を展開されてい
るのだけれど。
以下、引用。
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・これはもう、根拠も証拠もなんにもないんだけど、
ぼくの直感にしか過ぎないかもしれないんだけどね。
いつも機嫌のよくない人とかさ、
ものすごく忙しそうで取りつく島もない人とかさ、
なにかと冷笑的に否定する人とかさ、
どんなことでも悲観的に考える人とかさ、
‥‥いや、ちがってるかもしれないよ
‥‥その
勝手な思いこみかもしれないんだけど、
お風呂に入ってないんじゃないかと思うんだよ。
シャワーだけですませるとか、
ささっと義務的に入って暖まらずに出ちゃうとか、
そういうことしてるんじゃないかとね。
お湯にからだをつけて、ゆっくりと温度の交換をして、
ふー、とか、あ~~とか、ため息ついたりしてさ、
汗かいて、適当に肌なんかも色が変わったりしてね、
そういう時間を過ごすのって、
わりと忘れられてるような気がしたんだよ。
バスルームっていうと、からだを洗うところとか、
清潔方面の考え方する人も多いらしいけど、
そんなに洗わなくたって、じゅうぶん清潔だと思うよ。
そっちじゃないの、入浴の大切は。
お湯にからだをつけて浮力をたのしむ。
そして、温度というごちそうを肌から受けいれる。
湯気を呼吸して、湿り気をいただく。
お湯にじぶんをゆだね、まるごとをやわらかくする。
これを毎日やっている人と、やってない人の間には、
けっこうなちがいがあると思うんだ。
ぼく自身、毎日お風呂に入る人ではあるんだけど、
どうしても気ぜわしい日々が続くと、
義務みたいに入浴を済ませようとしちゃうんだよね。
そういういいかげんな入浴をした人間として、
昼間の時間とかを過ごしたりしていると、
「なんか、最近よくないなぁ」って感じになるわけよ。
温泉ばかりがお湯じゃない、もっとお風呂につかろうよ。
変温動物のように、お湯に温度をもらいましょうや。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いいお風呂に入った日は、手帳に◎をつけるとかもいいね。
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「今日のダーリン」より。
この文章を読んだ時に、自分の中でひとり思い
当たる方がいました。
「自分は湯船には入らない。シャワーのみ」
効率よく合理的な自分かっこいい、みたいな
様子で語る方でした。
仕事の内容で、これってこうじゃない?
大丈夫?って確認すると
「解っていますけど?!」
こういうことをやってみようかと思うのだが
「必要ないですよね?!」
何を言っても取りつく島もない様子で、
意見には否定的で、人の話は聞かない。
気のせいかもしれないし、関連性があるのか
どうかは実際のところ分からない。
でも、やっぱり湯船にゆっくり入らない、
一切の無駄を排除=ゆとりというか余裕のない
人というのは、こういう所で差が出るのかも
しれないなぁ。と思った次第です。
もちろん体質的な理由で湯船に入らない人も
いるので、湯船に入る入らないだけで判断は
出来ないのですけれどね。
お風呂とか、ご飯とか、眠るとか
そういう基本的な生活を作業化せずに、
おろそかにせずに丁寧に積み重ねる人が
最後には残るのかなーって感じます。
食事について、ちょっとおろそかに
なる傾向があるので心せねば。
Satosee!