本日は自戒ネタ。
断捨離を阻むものには
「コレクション」
「いつか使うかもしれないから」
「思い出」
「これ高かった」
など、イロイロございますが今回は
「これ高かった」系のお話。
この”高かった”に基準値はありません。
それぞれ個人のお財布感覚だからです。
減価償却という考え方がそもそも難しい
これが会計上の話であれば、費用配分で減価償却してゆけるのですが、個人の買い物は
出費も(基本的には)購入時がピーク
(ローンで買う場合もあるけれど)
気持ちも購入時がピーク
例えば、その時とても好きだった作家の豪華特典付き特装版作品集。
通常版よりもかなり高かったけれど、好きだったから一生の宝になると思い切って買った。
でも5年、10年と過ぎるうちに興味が薄れ・・・・・
今は興味が無い
(むしろ、通常版で良かっただろうに何で張り切って特装版を買った?あの時の私)
○ックオフへ
(二束三文だったorz)
ネットオークションへ
相場的に安い、手間が面倒・・・・・
購入時に価格も気持ちも価値もピークで、その後、時の経過とともに陳腐化してゆきます。
買った時は高かったから捨てるのも惜しい、でも今は興味が無い。
こうして物が「負の遺産」になってゆきます。
支払いはその時に終わっているし、気持ちも価値もないに等しい。それならモノに感謝をして断捨離すればいいのですが、どうしても「これ高かった」記憶があって手元から離せない。
その「負の遺産」を手元に貯め込むのは個人の自由です。
厄介なのは手放したいけれど、「これ高かった」記憶があるから捨てられない。
そうするとどうなるか?
「これいらない?」と人に押し付けることになるのです。
私もやれれたことがあります。
ブランドの化粧品(仕上げパウダー系のコンパクト)、買ったけれど顔色に合わなくて1回しか使っていない。
「あなた使わない?」
当時の私は気が弱くて断り切れなくて受け取ったのですが、結局使わず(必要ない+1回使用したというのがなんかダメで)最終的に処分致しました。
くれた方に悪気はなかったと思うのですが、なまじ安くはない金額を払った手前、自らの手で処分することにためらいがあったのだろうと推察。
高かった
↓
でも使わない
↓
捨てるのはもったいない
↓
でも使わない
↓
他の方に使ってもらおう
↓
無駄にならなくて良かった
↓
手もとからもなくなってスッキリ
結局自己満足なのではないかと・・・・・
自分でも本当に気を付けようと思った。
100譲って、人様に渡せるとしたら新品未使用のみと心得よう。
Satosee!