書き順に苦労した小学生時代
左利きを矯正しないでそのままだったので、書き順のテストは散々でした。
利き手についは字が汚くても、最低限読み書きはできるから気にしなかった。
ただ、書き順だけは理解できなかった。たった一つの正解があってそれから外れたら0点だし、認めてもらえない。
書き順を学ぶ重要性も、左利きだとどうして理解できないかなんてことは小学校の先生は教えてくれません。指導要綱に無いことは教えることが出来なかったと今では理解来ます。
きっかけは書道教室
小学校3年か4年の頃、友達が通っていて面白そうだったから書道教室に通い始めた。
右手で書いてみようか
私が左利きだと知った先生は習字は右手で書く方が筆さばきがスムーズだから、習字だけは右手でやってみようか、と勧めてくれた。
矯正ではなくその方がいいからやってみようか
右手で書くべきです!!ではなくてやってみようか、のスタンスがよかったと思います。
ただし大きい文字
スタートした当初は半紙に4文字だったので書いてゆくうちに慣れたし、書き順も理解が出来た。ただ、提出用の名前書きは小さい文字だったので左で書いてた。
高校1年まで続けていました。辞めた理由は高校生なると大人の部になって提出課題が増えて大変になったから(笑)
手書きナール文字
専門学校から最初の会社で働いていた6年くらいは手書き=ナール文字だった。
PCフォントで言えば、丸ゴシックM-PROが近いです。
部門内で共有する電話帳などは手書きナール文字で書いて、コピーして配布していました。
使える時は何でもワープロ
字が汚くて書くことが嫌いで、手書きナール文字は筆圧が高いのですぐ疲れる。
実家のワープロをもらい受けて、会社で使っていました。
(昭和の頃はその辺が緩かったし、ネットワークなんてまだなかった時代)
会社で使っていた編集機からパソコンに移行したころは何でもかんでもパソコンで打っていました。
ここからの流れでエクセルバカになりました(笑)
アイデアマラソンや手帳術に出会う
字が汚いながらに、自分で書き始めて今に至る。
ブタノートでも書き散らしでも、ノートを1冊使い切るようになって書くことには抵抗がなくなった。
ただし、字は汚いまま(^-^;
学生時代はノートの書き方も理解できていなかったので、板書丸写し→焦るので汚い字→自分でも読めない→再現率悪い→いやになる→ノートを1冊使い切れないで終わる。というダメダメのスパイラルでした。
そこから考えると、たとえ汚い字でもノートを使い切る快感に遅まきながら気が付いたわけです(ホント遅すぎるがなwww)
再び習字
動機は結婚式の御芳名帳に筆文字でマシな字を書きたかったから。
5年くらいは続けた。別の習い事と日程がかぶってしまい、結果両方やめた。
コンプレックス克服宣言
苦手なことを出来るように時間をかけるのは無駄である
↓
ならワープロやPCを使えばいいじゃん
↓
でも、手書き不可避な場面もあるワケで
↓
習字を習う、とにかく書く
↓
気が付いたら文字コンプレックスが克服できていた
子供の頃のように「ぎっちょだから字が汚いのよ」と否定されることもなくなりました。
字の上手い下手を他人にジャッジメントしてもらう機会がほぼなくなったことと、必要ないということに気が付いたから。
今でもきれいな字には程遠いが、それでも人並みの字を書けるようになったと思っている。
何より書くことが苦痛ではなくなった。
ここまで来るのに半世紀くらいかかりましたけれどね(笑)
字が汚いことはコンプレックスで今もあまり変わらないけれど、最近は栄養をやっていないので心の隅っこで干からびてます。
文字は両利きになった建機カメラマン
Satosee!