映画を観た直後の感想。
これって、壮大なる伊藤計劃さんへの恋文じゃね?
エンドロールの前後はそうとしか思えなかった。
あながち間違ってはいない気がする(笑)
一回目は、原作と違って混乱したけれど、映画版ではこうなっている。ということを知ったらもう驚かない。
あの情報量の多い作品を、よくこれだけそぎ落としてまとめたと思うし、あれくらいの話にしないと原作読んでいない人には「はぁ???」ってなるからね(^_^;)
伊藤計劃さんの「屍者の帝国」から2作品が生まれたと考えれば、原作と違う!キー!!とかはならないです。
流石に伊藤計劃さんの執筆したプロローグをザックリそぎ落とすのは勇気がいったと思いますけれど。
アホ毛で存在を語るフライデーは可愛かったですよ(笑)
情報量が多いものの、映画だけでも楽しめるとは思います。
でも、出来れば原作を読んで、さらに「虐殺器官」と「ハーモニー」も読んだ方がより深く味わうことが出来ると思います。
特に伊藤計劃さんの執筆したプロローグ部分や、この作品の構想を考えた時点で作者が、肉体や魂をどう捉えていたのか・・・・・
こちらは勝手に思いを巡らせるしかないけれど、あの時あの状態の作者だからこそ紡ぐことが出来たのだと。
死の恐怖と当時に、どこか客観的に状況を捉えている自分と、その両方をシニカルな視点を眺めつつ、小説にしようとしていたと思うのです。
屍体を再利用するというモチーフを小説化するときに当然出るであろう「不謹慎である」「屍者への冒涜である」といった批判にさえも、不謹慎とは何を持って不謹慎か?、冒涜であるの主体は?
とか肉体+魂=人間、では肉体単体、魂単体は果たして人間という定義で間違っていないのか?
そんなことを点滴のパック越しにかすんだ天井の継ぎ目を探しながら思索していたのか。
などと変に妄想というか、勝手に思いを馳せてしまうわけで。
この映画を観ると、私も伊藤計劃さんに恋文を書きたくなってしまいます。
私が書いたところでどうにもならないし、何も変わらないし、寧ろイタいだけですが(笑)
夭折の天才作家 それが伊藤計劃。
言っても詮無いことですが、それでも
伊藤計劃さん、貴方の文体が好きでした。
もっと沢山の作品を読みたかったです。
Satosee!