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その怒りや不快感は誰のもの

人の振り見て我が振り直せ 感じたこと・思ったこと 生き方・考え方

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行きすぎた配慮や慮りに疑問を感じる
前々から感じていた違和感。

 

自戒も含めて、
『○○な人が不快に感じてかわいそうだから、コレはやめた方がよいでしょう』
みたいなことって、往々にして的外れなことが多いように感じますが如何でしょうね?

 

こういうことかな
人質事件に配慮し歌詞を変更?歌を変更?バカじゃないの~不謹慎という名のバカの壁

 

そしてこちらはアリなのかなぁ、と。
「ロリコン、性差別」「海の文化バカにするな」サミット開催地・志摩で海女の萌えキャラ大炎上

誤解の無いように申し上げますが、「当事者以外は文句を言ってはいけない」ということではないです。
もちろん当事者に近い第三者で「▲▲って言われるのが傷つく」など、当事者の気持ちを反映した問題提起が出来るケースも有ります。
当事者の中には、不快だけれどそれを伝える勇気がない。というケースも有るでしょうし、諦めていることもあるかもしれません。


ただ、当事者ではない第三者が捉える「問題」と当事者が捉える「問題」には、いささかズレがあるのではないかと。
当事者ではない第三者が捉える「問題」が当事者には特に「問題」というほどでもなく、「ああ、そういう言い方をする人もいるけれど、別にいいんじゃない?」であるとか、
むしろ、当事者ではない第三者が捉える「問題」が声高に喧伝されると、当事者が「問題」と感じていると間違った認識が植えつけられることの方が困るのだけれど・・・・・ということだってあるかも知れない。


第三者が『○○な人が不快に感じてかわいそうだから、コレはやめた方がよいでしょう』と問題提起して、やめてもらったから○○な人が不快に感じることはなくなった。ああよかった。私はいいことをした。ということなのであろうか。
でもその不快感はあなたのものではないですか?
自分の不快感を配慮とか慮り、という言葉にすり替えていませんか。

まるで、子供が転ぶと危ないからすべての道を段差も石ころもないきれいな道に全部整備してもらったから、子供は安心して歩けるはず。
ああよかった。私はいいことをした。ということなのであろうか。
それは自己満足ではないのかな。


不快に感じるキモチはあなたのものです。
総意ではないし、当事者のキモチとはずれているかもしれない。
状況は状況で、問題提起した方がいいのか不要なのか。
「頭と心を切り離して考える 」でも触れましたが、自分の感情と状況を混同してヒートアップして引っ込みつかなくなってしまうケースも有るのです。

そして何事にも言い方ってあると思うのです
「▲▲って言い方!○○な人が不快に感じてかわいそうだから、コレは即刻やめるべきです!」
よりは
「▲▲って言い方は○○ではない自分が聞いても不快に感じたので、使う時にはもう少し考えた方がよいのではないか」
程度にしておいた方がいいとは思います。

 

本来「配慮」とか「慮り」って他人を気遣う素晴らしいものです。
そしてそこに気が回る人も素晴らしいと思うのです。
特に女性は共感能力が高いので、こういう細かい機知に富んだ感性を持つ人が多い。
さらにそれを問題提起しようと行動することも、誰もが出来ることでもない。

その優しい気持ちをそのまま伝えれば、みんなハッピーになれるよね(*^_^*)


大多数はとくに不快に感じていなくても、たった1人でも、不快だ!不謹慎だ!配慮しろ!って来たらすぐに引っ込めてしまう、過剰反応する側もどうかと思うけれどね(^_^.)

 

Satosee!

 

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